正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

そっくり抄

サーンキャの所説を全部上げることは不可能ですので、主だったものと因果倶時に近いものを上げてみます。

◎もし果が事実、質量因の中において存在しないならば、作者のいかなる努力もそれを存在へともたらすことができない。いかなる人も青を赤にすることはできないし、また砂糖を塩に変えることができない。したがって、ある果がある質量因から生ぜられる場合、果が何らかの形で因の中に前もって存在していて、ある定まった状況によって現出するのである。ちょうどナタネ油がナタネの種子をしぼることによって産出されるようにである。動因としての活動、つまり陶工やその用いる器具は、暗に粘土の中に包含されて在る果、即ち瓶を現出する為に必要なのである。

◎質量因とそのもたらす果との間には不変の関係がある。質量因は、それが因果的に関係する果だけを生じ得る。何の関係もない果を生じることはない。したがって、果は、それが現実に生じる以前に質量因の中に存在せねばならない。(因中有果論 ・田中典彦|印度哲学概論から引用)

日蓮遺文に「向仏とは昔は権・仏因に非ず実・仏果に非ず今権即実と解して大円因を成ず因は必ず果に趣く故に合掌向仏と言うと。」(御義口伝・真偽未決)というのがあります。

神は元々存在するというのです。しかし、これは一切万物の、原因があって結果があるという理法に反するのです。仏教においては、仏も仏としての原(もと)に成る原因がある。また、それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づいて、真の幸せを得ることができるという次第であります。(日蓮正宗日顕上人猊下立正安国論・夏季講習会)

なんですか、一見仏教みたいですが、似てますね。「仏も仏としての原(もと)に成る原因がある。」とか「大円因を成ず因は必ず果に趣く」とか「果が何らかの形で因の中に前もって存在していて、ある定まった状況によって現出するのである。」というサーンキャの因中有果論 みたいです。もっと似ているのを探してみます。

六度(菩薩行)の功徳を妙の一字におさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳を与え給う。
今この三界はみな我が有なり、その中の衆生は悉くこれ吾が子なり。
我等具縛の凡夫、忽ちに教主釈尊功徳ひとし。彼の(釈尊の)功徳を全体うけとるが故なり」(日蓮・日妙聖人御書)

仏果を招く根源の因を「妙」とするようです。 サーンキャのそれが因果的に関係する果だけを生じ得る。」と非常に似てますね。