正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗の因果論

日蓮の思想には非常に因中有果論によく似た考え方が見られますが、さらに比較していきましょう。

◆ある果がある因から確実にもたらされることが知られている。酪は乳からのみ得られ、布は糸からのみもたらされる。このことが、果が何らかの形で因の中に在ることを示している。そうでないならば、ある果が任意のものからもたらされることとなる。 

◆もし果が因の中に存在せずして生じたとすれば、無から有が生じたこととなる。しかし、そのようなことはあり得ない。 (サーンキャ哲学)

◆十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし。(十八円満抄)

これらは日蓮正宗の教義の教え方の中にもしっかり継承されています。

南無妙法蓮華経の中にあらゆる教えが備わっている。その妙法の妙という字に三つの内容が存するのである。一つは衆生の一人ひとりの生命の中に妙法が存している。これを衆生本有の妙法という。
一生成仏抄に、
『夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり』と御指南があります。
南無妙法蓮華経と唱えれば、一人ひとりの生命に妙法が涌現してくるという御教示です。(中略)
南無妙法蓮華経が衆生本有の妙法である。
法華講連合会第二十七回総会・平成四年七月二十六日)

これらについては大乗仏教の祖と言われる龍樹菩薩の言葉がいいでしょう。「因中において既に果が有としてあるならば、さらに果を生ずると言う必要がない。 」(龍樹著・十二門論)

日蓮正宗は我を否定した仏教とは違う観点で「有」を主張した仏教らしい。