正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

果報より因行が優れる

日蓮の特に真言批判については大日如来の出生を取り上げて、その不明なことを指摘してます。

大日如来は何なる人を父母として何なる国に出で大日経を説き給けるやらん、もし父母なくして出世し給うならば釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に仏出でて説法すべしと云う事何なる経文ぞや、若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」(祈祷抄・文永9年に系年・真蹟曽存)

ここではしっかり邪教と弾劾しています。ところが法華経の久遠実成の釈迦如来となると何やらキリスト教のデウスか、インドの梵天のような存在であるのに一向気にしないようです。その起点を久遠元初とし、五百塵点劫や三千塵点劫が経文に出てきますが、それは仮設であり、喩え話であったはずなんですけど日蓮はそうは読まなかったようです。

「過去五百塵点劫より、このかた、この娑婆世界は釈迦菩薩の御進退の国土なり」(釈迦御所領御書)

法華経と申す御経は別の事も候はず、我は過去五百塵点劫より先の仏なり」 (清澄寺大衆中)

「寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給う 」 (法蓮抄)

「今此の世界の梵帝日月四天等は劫初より此の土を領すれども」 (開目抄)

これら一連の遺文は明らかに我の常住を説いているんですが、日蓮系では「我」の常住を認めて、死後は釈迦のいる霊山に行くとなっているようです。

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。(中略)我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返てみちびけかし」(開目抄)

この霊山にいるはずの釈迦如来が、いつのまにか日蓮如来になるところが廻転の法則のようで、日蓮正宗の信者さんは、普通の因果は逆転して因のほうが優れるような説き方ですね。

釈迦牟尼仏が、『五百塵点劫』の昔に『我本行菩薩道』されていた仏道修行こそが、日蓮大聖人様の【三大秘法の南無妙法蓮華経】と云う結論になるのです。(某質問サイト)

これについても少し突っ込んでいきましょう。