正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗因果論の間違い

日蓮の言うような因中有果説とは、因の中に果が実有つまり実際に存在すること、実体としてあることと捉えられいることである。
しかし、釈迦は無我を説いていたはずなのに、なぜこのような誤解が起こるのか?しかも日蓮正宗の説明サイトには

諸法空を座と為す意味
「諸法空を座と為す」とは、『法師品第十』に、
如来の座とは一切法空(いっさいほうくう)是なり」(法華経329頁)
と説かれているように、あらゆる一切の法は空であると覚悟して、その座(境界)に住して修行せよということです。(大白法サイト・諸法空為座)

と書きながら「人々の一人ひとりの命、その一念には本来、法界に遍満する自由自在な妙法の性を備えております。」と実有の存在を信じるとも説いています。

日蓮遺文の開目抄ではインドの仙人の説を引用して仏教からの視点で破折しようとしています。

「迦毘羅(かびら)・漚楼僧佉(うるそぎゃ)・勒娑婆(ろくしゃば)、此の三人をば三仙となづく。(中略)其の所説の法門の極理は、或は因中有果(うか)、或は因中無果(むか)、或は因中亦有果(やくうか)亦無果(やくむか)等云云」(開目抄)

しかし、細かい説明はなくただ天界への修行法を説いているだけで仏教の有利性は殆ど説かれていません、自らの論説となると三仙人のごとくです。

法蓮華の蓮華につき、妙法そのものを指す当体蓮華と、植物の蓮華によって妙法を譬(たとえ)る譬喩(ひゆ)蓮華があり、法華経では当体と譬喩が合説(がっせつ)されていると示されます。また、当体蓮華とは、久遠元初(くおんがんじょ)の本仏が覚った、本有無作・因果(いんが)倶時(ぐじ)の不思議の一法であり、これを妙法蓮華と名づけられたこと、さらに後に当体蓮華の道理によく似た植物を蓮華と名づけ、妙法に譬えられた次第を明かされます。(日蓮正宗サイト・当体蓮華)

本来の仏教の態度は次の如くです。
「則一切有為法皆空、何以故。一切有為法、皆是因是果」
すなわち全てのものは縁起生のものであることを述べたもの、仏教の立場では因と果の区別を承認しないのである。

此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。此(これ)が生ずれば彼(かれ)が生じ、此(これ)が滅すれば彼(かれ)が滅す。(此縁性)

仏教の説く縁起は因と果の関係の中で、存在の生起を示したものではなく、どこまでも存在の在り方を明かにしようとしたものであるということがここでも確認されてます。ことさらに原因を突き詰めてその中に存在を起こす何かを認めようとする発想は外道の見方であることも分かります。