正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮と空海の接点

大乗仏教の仏性の有る無しは論議を呼んだようで、日本でも最澄と徳一の論争は有名です。これは三一権実諍論と呼ばれて一切衆生の悉皆成仏を主張する最澄と二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないとする徳一の宗派と教判を争った問答でした。

つまりは如来蔵を認めるか、仏性のない衆生は救われないとするかの一面もあるのですが、この如来蔵は近年イロイロ批判の対象となっていました。

縁起の思想や無我の思想を否定する思想=如来蔵思想は、シンプルに言えば「心臓(蔵)に住する如来アートマン)」ということでしょう。これはまったくバラモン教ことヒンドゥー教の教えそのものなんですが、日蓮にもこういう思想は反映されています。

宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか・只今ましますらんと・かんがへ候へば、日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候(日女御前御返事・真蹟なし)

真言家でも八葉の心蓮華ということは説きますが、密教は全く仏教のヒンドゥー教化ですので、まぁしかたないですね。

「心蓮」とは、シャンカラが用いる“hrdaya-pundarika”という語の訳語とさえ考えることが可能なのである。従って、この文章は実は、“アートマンは元来、心臓(心蓮華 hrdayapundarika)の中にある”と説くものに他ならないのである。(禅思想の批判的研究・松本史郎氏)

このシャンカラというのは8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した人です。ちなみの密教の瞑想法である阿字観はこういう感じです。

『阿字観』を修すると、このようによく一切の煩悩を除くことになり、それによりあらゆる効能がある。何故かというと、「八葉」を観想して多くもせず、少なくもしない(この「八葉」ということが肝心で)おおよそ人の心の形(心輪:心臓のチャクラ)は、八葉の蓮華の花が未だ開かないような形(未敷蓮華の形)をしており、八方に分かれた筋(輪線:脈管のこと)があり、男性は上に向かって開き、女性は下に向かって開いている。(阿字観・ウィキペディアより引用)

日蓮の思想の中にこういう心蓮華発想を認めるということは、コレ、ますます外道観が充満で、形を変えたヒンドゥー教であることが分かります。奇しくも日蓮が批判した空海の文書に真言大我、本住心蓮」空海・性霊集:七)というのもあり、空海を近親憎悪のように否定しつつも大きな影響を受けた跡が見れますね。