正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

段階的な弥勒思想・2

弥勒菩薩の救済・第三段階になると「仏説観弥勒菩薩上生兜率天経」(漢訳464年)が現れそれまでの単独的な救済菩薩からタッグマッチに発展するそうです。
それは阿弥陀如来信仰と融合してより強力な救済力を発揮していきます。勢至菩薩と弥勒は菩薩として阿弥陀如来像を置いた場合脇師に位置してその影響が確認できます。

中国に弥勒信仰が進出した時には中国の神仙思想に説かれる三神山の一であり山東半島の東方海上にあり、不老不死の薬を持つ仙人が住む山と考えられていた蓬莱の国という理想郷と重ね合わされ、仏典にはもはや外せないキャラクターとして受け入れられたようですね。

浄土宗系の『無量寿経』では、阿弥陀仏の本願を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付属されている。
天台大師が臨終に望んで法華経観無量寿経の二部の経題を唱えさせた」と生前に「 常に弥勒菩薩の浄土である兜率天に往生することを願い、臨終の時には観音菩薩勢至菩薩と共に迎えに来るであろう」と説かれています。

この無量寿経は印度に原本がなく、未だに発見されていないので中国で作られた偽経濃厚なのですが、ここにも経典を付属されるなど扱われ方は釈迦の次の人イメージです。
弥勒下生の時期については、「弥勒下生経」が「将来久遠にして弥勒出現す」という表現をしているだけで一般的には56億7千万年後とされていたようです。
これは『菩薩処胎経』巻二にある弥勒に対する予言

「弥勒まさに知るべし。汝また記を受け、56億7千万歳にして、この竜華樹王下において無上等正覚と成らん」

 が根拠のようです。この数字については、人間の世界の400年が兜率天の一昼夜に相当し、1年を360日として数えると、天上界の寿命が4000年として、400×360×4,000=576,000,000となる。5億7600万年後となる。これを57億6千万年と読み、さらに56億7千万年と読みならわすようになったと説明されている。
日本でも弥勒信仰は平安期に流行しましたが、鎌倉期に入ると殆ど受けいられなくなったのは、先の阿弥陀如来とタッグマッチを組んだせいで、浄土宗の布教とともに脇士となっている弥勒よりも、中心の阿弥陀如来の方へ傾斜していったようです。