正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

開祖ということが違う正宗さん

日蓮遺文では地蔵菩薩は民間信仰の一種の扱いだったり、法華経の諸尊だと言われたりで一定しません。

◆僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえ(思え)ども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく(思わく)我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地獄をもをぢず(怖じず)、或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず(怖じず)、而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なんどをあいし(愛し)父母主君なんどを・うやまう(敬う)には雲泥なり、仏・菩薩等をばかろく(軽く)をもえる(思える)なり(顕謗法抄)

【趣意】鎌倉時代の僧や尼、男・女は地獄の業を犯していても、地蔵菩薩の霊験を信じ阿弥陀如来の救いを頼んでいる、また色々な善根を修したりしているので、地獄には堕ちないと恐れなくなった。

また地獄の因を積んでいるのに後生を恐れなくなった人が多くなり、家族を愛する度合いや主君に仕える程度と比較すると雲泥の差である、仏菩薩をかなり軽く見ている

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◆迦葉尊者はケイ足山にあり、文殊師利は清凉山にあり、地蔵菩薩は伽羅陀山にあり、観音は補陀落山にあり、弥勒菩薩兜率天に、難陀等の無量の竜王阿修羅王は海底海畔にあり、帝釈はトウ利天に梵王は有頂天に・魔醯修羅は第六の佗化天に・四天王は須弥の腰に・日月・衆星は我等が眼に見へて頂上を照し給ふ、江神・河神・山神等も皆法華経の会上の諸尊なり。(祈祷抄)

【趣意】お釈迦様の十大弟子のおひとり、大迦葉が、入定されたと言われる地はケイ足山、文殊菩薩は清凉山、地蔵菩薩は伽羅陀山。観音は補陀落山、弥勒菩薩兜率天。(以下略)入り江に由来する神や山の神も皆法華経虚空会の諸尊である。

日蓮正宗の地蔵批判では「偽の菩薩を信仰することは、仏の御化導を惑乱する謗法(ほうぼう)行為であり、災いのもととなる。」と先に紹介しましたが、
「皆法華経の会上の諸尊なり。」は置いてけぼりですね。