正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

後付解釈の阿弥陀如来

法華経阿弥陀観無量寿経阿弥陀の差異を述べた日蓮の遺文があります。

「又安楽世界と云うは一切の浄土をば皆安楽と説くなり、又阿弥陀と云うも観経の阿弥陀にはあらず、所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀四十八願の主十劫成道の仏なり、法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて法華経大願の主の仏なり、本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり随つて釈にも「須く更に観経等を指すべからざるなり」と釈し給へり。」(法華初心成仏抄・健治三年)

この遺文を以ってよく阿弥陀には三種の阿弥陀がいて、それぞれに役割が違う。観無量寿経などの爾前の経は衆生成仏の法門になっていない。法華経に至ってようやく一切衆生の成仏が示されます。といいますね。

と、ここでも天台宗の五時八教と法華三部経をベースにその経典の利益の差異を述べたりしてますが、無量義経が中国撰述など、五時八教も中国天台宗の恣意的解釈が施されたもので、ほとんど実効的証明ではありません。
しかも、天台宗の五時八教説の「五時」には浄土三部経はでてこないのです。ただ両者が同時期に説かれたと解釈する根拠はあります。王舎城の悲劇つまり阿闍世王物語は『観無量寿経』や『大般涅槃経』に出てきます。その他『阿闍世王経』などの阿闍世王物語に絞ったお経もあります。
ジャイナ教の経典も王舎城の悲劇について触れていますから、史実であったのは間違いないでしょう。

さらにこの法華初心成仏抄は健治三年とされていますが、薬王品得意抄(文永二年・1265年)という記述には

而るを此の法華経の薬王品に女人往生をゆるされ(許され)候ひぬる事、又不思議に候。彼の経の妄語か、此の経の妄語か、いかにも一方は妄語たるべきか。若し又一方妄語ならば一仏に二言あり。信じ難き事なり。(中略)仏は女人は往生成仏すべからずと説かせ給ひけるは妄語と聞こえたり。妙法華経の文に「世尊の法は久しくして後に 要 ず当に真実を説きたまふべし」。 「妙法華経乃至皆是真実」と申す文を以て之を思ふには、女人の往生成仏決定と説かる ゝ法華経の文は実語不妄語戒と見えたり。(薬王品得意抄・文永二年)

とあって、文永二年(1265年)ころの遺文では法華経阿弥陀如来の女人往生の解釈はでき無かったようで、十二年経った健治三年(1277年)頃にはようやく三種の阿弥陀如来がいるという解釈を見つけて、決着をつけようとしていたようですね。 

しかし、これでよく文応元年(1260年)の立正安国論で念仏無間とか断言できたものです。