正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

漏れのある一切経閲覧

色々と阿弥陀如来法華経の接点を探ってきましたが、日蓮さんの真偽未決ですが「下山御消息」という遺文にこういう箇所があります。

阿弥陀経には仏・舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ、舎利弗舎利弗・又舎利弗・と二十余処までいくばく(幾ばく)もなき経によび給いしは、かまびすし(喧し)かりし事ぞかし
然れども四紙の一巻が内すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず法華経に来りてこそ始て華光如来・光明如来とは記せられ給いしか、一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる」(下山御消息・真蹟なし)

ポイントとしては、阿弥陀経を付属された舎利弗さんの事を、法華経に来なければ舎利弗はじめ二乗(声聞・縁覚)成仏の記別は貰えなかった、と日蓮は勝劣の気分で経典を捌いているのですが、これがまた大笑いです。

「大乗離文字普光明蔵経」という経典にはこのようにあります。

是の人臨終に定んで親しく阿弥陀仏、菩薩大衆と而も現じて前に在るを見るを得む。我れ今此の耆闍崛山に在りて、諸の菩薩の衆に共に囲繞せらる。

彼れ臨終の時、また是の如く見む。まさに知るべし是の人即ち已に無尽の法蔵を得と為す。まさに知るべし是の人宿命智を得む。まさに知るべし是の人悪道に堕せず。善男子、我れ今此の一切世間難信の法を説く。(大乗離文字普光明蔵経)

多くの衆生は善と言っても儚いもので、経典を理解することは出来ないが釈迦に師事し臨終に望んで阿弥陀如来と諸菩薩が眼前に現れ、その様子はまさに霊鷲山にいるようだ。このように臨終に望んで阿弥陀如来の来迎を感じた人は無尽の法を得た人であり、悪道に堕さず阿羅漢果の宿命通を得る。そして以下の部分へと続きます。

「在在所生、諸根具足し、仏の灌頂を蒙り、五眼清浄ならむ。善男子、要を取りて之を言はば、我れ是の人を已に仏道を成ぜりと見む。」

仏、此の経を説き已りたまふに、勝思惟等の一切の菩薩、及び諸の声聞、天龍八部、皆大に歓喜して信受奉行せりき。(大乗離文字普光明蔵経)

ここに「諸の声聞」と記されていますので、阿弥陀如来の来迎に一切の法門や既に仏道成就が叶っていると、説示されています。

日蓮一切経を閲覧したと言われていますが、そうではなかったようですね。この経典は唐の時代にインドから来た三蔵法師・ディヴァーカラが翻訳したもので、「ことばを離れたあまねく光り輝く蔵についての経」という題名ですね。