正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

釈迦を迹仏とする根源

日蓮の遺文に最澄の叡山・大乗戒壇のことについて触れられた消息は多いですが、いい加減な事跡ばかり目立ちます。

日蓮が云く小乗戒は仏世すら猶之を破す其の上月氏国に三寺有り、所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云、(中略)日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり、

其の後・桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ、其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云、護命・景深の本師等其の諍論に負くるのみに非ず六宗の碩徳・各退状を捧げ伝教大師に帰依し円頓の戒体を伝受す云云(行敏訴状御会通・文永八年)

 まぁ、歴史的にこのような「護命・景深の本師等其の諍論に負くるのみに非ず六宗の碩徳・各退状を捧げ伝教大師に帰依」という事実はないんですけど、いつものホラ吹きらしい筆の滑った遺文です。

ところで「円頓の戒体」ってところですが、梵網経・下巻には大乗戒が述べられていて大乗戒の第一の経典として中国・日本で重視され、最澄によって大成された円頓戒の典拠経典となっている。つまり最澄は小乗戒を利権とする奈良南都の仏教に対抗して、大乗戒の根拠を梵網経を元に策定したようです。

これを認めた朝廷の背景には、単なる新しい仏教への期待というよりも南都のそれまでの政治介入や律令制度の見直しをはじめとした京都への新都市計画に乗じたものと言われています。

さてその大乗戒の根拠となった梵網経ですが、これがまた中国で作らえた同名のインド経典にない要素を持っています。