正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

絶待の絶対

天台大師は法華玄義のなかで大部分をさいて法華経から導かれた妙法についての解釈をしています。

たとえば玄に曰くとしてのサンプルは観心本尊抄などでは
問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや
玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云

とあります。日蓮に多大な影響を与えた天台大師(538-597)の法華経の題号である妙法釈については、同じ頃の嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が、この法華経の題号にもっと深い意味を与えるため、竺法護訳の「正法」を「妙法」と訳し直したと言われています。

天台大師の少し前を生きた光宅寺法雲は、妙法とは形無く凡ての思考を絶したもの、相対的なもの(麁)を絶した所にあると述べているが、天台大師はそれら吉蔵・法雲の解釈を通じて自著に「絶はこれ妙の異名なり」として、最高絶対の真理だと定義しています。

こうした絶対観は、中国ではかなりもてはやされ、真の絶対的存在は相対的存在と絶対的存在との相対・対立をもう一歩突破・超越した、いわば絶対的絶対として存すると言う理論を背景にしてそれぞれの依って立つ経典の権威を高めるために宣揚するためのキーワードでしょう。

法華玄義には「妙は不可思議に名づく、麁に因って妙と為すにあらず」と麁と妙という二項対立的な言葉を麁(あらい。 粗末なという意味)に対して妙(不可思議絶対)という項目を立てるだけでは、いまだ相対の一部になるので、凡夫(麁)と仏(妙)の相対を更に超えた非凡非仏、仏凡不二の一体の所に真に絶対の仏が存するというトンデモ系の思想を練りだしたようです。

これが日蓮などの過激な排他主義に展開していきますが、もともとに法華経はそんなことを説いておらず各経典の優劣を超えて宥和一致の思想なのですが、天台大師の過激な優劣思考がこういう絶待の絶対とか、屋上屋を重ねる思想を生み出したんでしょう。

これらの思想には切りがなく、絶待の絶対が平凡化すれば、そのまた上をいく絶対観の将来を招く基礎を作ったようなものです。