正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

誤解のポイント

天台大師の間違いを唐の時代に気がついた人がいます、道元の師匠に当たる方で天童如浄(てんどうにょじょう、1163年(隆興元年) - 1228年(紹定元年))は中国宋の曹洞宗の禅僧です。

天童山景徳寺(浙江省寧波地区)の第31世住職を務め語録として弟子がまとめた『如浄 禅師語録』が伝えられています。この方は天台宗の智ギを全く評価しておらず、特に一心三観を邪説とまで言い切ってます。

天台教学では、龍樹菩薩の「中論」から一心三観を導いてますが、残念なことに漢訳で見てしまったので、「一心三観」では、龍樹は空=仮=中道は同じものと表しているのに天台大師に至ってそれぞれが別個の状態という解釈を施してしまったようです。

「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり。」(中論)
(どんな縁起でも、それを我々は空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。)

これを中村元氏は「対置・対立させるような関係にはそもそもないのであり、ましてや、「空」や「仮」を、「無」(断見)や「有」(常見)の「二辺」と混同してしまうような(中略)解釈としては、明確に誤りである」と説明しています。日蓮はその誤りのまま遺文にはこう書いています。

己心所行の法とは一念三千・一心三観なり三諦三観の名義は瓔珞・仁王の二経に有りと雖も一心三観一念三千等の己心所行の法門をば迹門十如実相の文を依文として釈成し給い畢んぬ。(立正観抄送状)

事の一念三千・一心三観の本迹 釈迦三世の諸仏・声聞・縁覚・人天の唱る方は迹なり、南無妙法蓮華経は本なり。(百六箇抄)

日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一心三観・一念三千・三諦・六即・境智の円融・本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり(十八円満抄)

道元は師匠の喝破により、「天台慧聞」は、中論を「読んだのに過ぎない」と捉えていたようです