正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

一心三観の瑕疵

道元が中国渡海して禅の師匠である如浄についてもう少し、書きます。

道元の空に関する理解も同じく如浄に由来するもので空=中というのは現在の私達はサンスクリットのテキストやインドの註釈書、チベットに受け継がれた伝統を知っているからこそ言えるものなのだが、道元の空理解はインド・チベットの伝統と同じである。
中国天台では「空・仮・中」の三諦を説き、それを順番にではなく一度に観ずるのが一心三観だが、如浄はそれを唱えた慧聞(天台智ギの師の師にあたる)を次の様に批判している。

【慧聞禅師はそのかみ、背手にして経を探り、龍樹が造る処の中観論を得て、始めて一心三観をたつ。(中略)慧聞は中観に依るとはいえども、ただ所造の論文を抜くのみにしていて未だ能造の龍樹に遇わず。いまだかつて龍樹の印可をも蒙らざるなり。】(宝慶記)   

三諦説は『中論』の不適切な漢訳に基づいているのだから『中論』を読んだにすぎないという批判はそれはその通りなのだが、如浄はサンスクリット原典を眼にしたとは思われないし「未だ能造の龍樹に遇わず」と批判する以上
如浄はナーガールジュナに遇ったのだろうと考える他は無い。(神と仏の倫理思想・吉村均)

 こういう解釈は今や一般的で、天台大師の一心三観という論拠も中論に依ったのでしょうが、漢文訳が誇張されていたので、結局はサンスクリットの原文に当たらず把握したことが瑕疵の元ですね。これらは中村元氏だけでなく立川武蔵氏も同様のことを述べておられて、天台宗では智ギは師匠の慧聞禅師の行法を批判する部分もあるが、大筋では「空・仮・中」の三諦の把握は間違っていたようです。