正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

遺文に見る一心三観

それでは日蓮遺文にどれほどの重要法義に一心三観ワードが組み込まれているのか、見てみます。

■「念念に一心三観・一念三千の謂を観ずれば我が身本覚の如来なること悟り出され無明の雲晴れて法性の月明かに妄想の夢醒て本覚の月輪いさぎよく父母所生の肉身・煩悩具縛の身・即本有常住の如来となるべし」(一念三千法門)

■「いかように心得候てか速に菩提の岸に到るべきや、伝え聞く一念三千の大虚には慧日くもる事なく一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ其の修行に堪えたる機にて候なれ、然るに南都の修学に臂をくだく事なかりしかば瑜伽唯識にもくらし北嶺の学文に眼を・さらさざりしかば止観玄義にも迷へり」(持妙法華問答抄)

■「故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり」(当体義抄)

■「一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ敢て忘失すること勿れ、伝教大師云く「和尚慈悲有つて一心三観を一言に伝う」(十八円満抄)

これらは全てではありません、しかし一連は、いまだ帯権(仮の教え)の域を出ない消息文とツッコミが入りそうですが、少なくとも法華経と他経との勝劣証明に使われていることは事実ですので、これらが全て根拠を失うということです。

日蓮の場合は妙法蓮華経という題目に全てが包含されているというタイトル含有主義ですから、余り関係していないのかもしれませんが、自分が得た法華経観をゴリ押しするための方便として、こういう手段とステップで説得材料としたのですから、これも見直しということ、だけはハッキリしています。