正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

空海の着眼点

日蓮は「空」を説いた阿含経などは低い教えだと無視していました。
それは中国天台が小乗に対して行った態度と同じものと言って差し支えないようです。

「坐禅入定の儀を全して空観の月を澄し」(立正安国論

「教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にて・ましませしが苦行・楽行・十二年の時・苦・空・無常・無我の理をさとり出してこそ外道の弟子の名をば離れさせ給いて無師智とはなのらせ給いしか」(開目抄)

「或は小乗経に対して勝劣をとかれ或は俗諦に対して真諦をとき或は諸の空仮に対して中道をほめたり、譬へば小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし」(報恩抄)

ところが大乗の極みである密教を修した空海の書物には驚くべきことが残されています、 初期経典である阿含経まで目を通して、そこに解脱の道を探っていたようです。

「第一の法宝とは即ちこれ摩訶般若解脱法身なり。第二の法宝とは、いわく、戒・定・智慧の諸の妙功徳なり。いわゆる三十七菩提分法なり。乃至、この法を修するを以て、しかもよくかの清浄法身を証す」 (弘法大師空海著・弁顕密二教論」 第二章、広釈段)

この三十七菩提分法というのは、阿含経に説かれている成仏法・七科三十七道品のことで、大般涅槃経、中阿含経などに説かれた、初期仏教で悟りに至るための三十七の修行法のことです。

四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれるので、七科三十七道品といいます。密教は火を使って護摩壇などで行法が凄いのですが、本来は瞑想法が主体で阿字観とか残されています。

空海の「三十七菩提分法なり。乃至、この法を修するを以て、しかもよくかの清浄法身を証す」というところの「清浄法身」とはまさしく「解脱成仏」ということです。

阿含経では十二因縁を逆行して無明である煩悩を無常・無我として空を修して因縁具縛の肉体観察を行い解脱の道を修行します。空海日蓮の差はこういうところにも顕著に現れています、空海はこの文書以外に阿含経の内容について書いていませんが、やはり天才だったんですね。