正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

但空と不但空

大乗家の空観の取り扱いは大体このようなものであろうと思う、法蔵館『仏教学辞典』の空の項には多くの「二空」が述べられており、そこには次のように書いてある。
「但空」→空にかたよって不空の理を知らず、妙有の一面を認めないこと。偏空ともいう。
「不但空」→空にとらわれないで妙有の一面を認める中道の空。これは一切法には決定された自性は得られないとする空であるから、不可得空ともいう。

法蔵館密教大辞典』には『釋摩訶衍論』に用例があるとして「不空」を次のように定義する。

空に対す、一切の浄法をさす、これ一切妄法の体相無実にして作用非真なるを空というに反して、自体中実にして虚仮を遠離し、作用勝妙にして巧偽を超越せる一切浄法を不空という。(偽書・釋摩訶衍論)

 それでは日蓮の遺文で空観に関する記述を拾い上げてみます。

阿含経の題目は一経の所詮・無常の理をおさめたり、外道の経の題目のあうの二字にすぐれたる事百千万倍なり、九十五種の外道・阿含経の題目を聞いてみな邪執を倒し無常の正路におもむきぬ、

般若経の題目を聞いては体空・但中・不但中の法門をさとり華厳経の題目を聞く人は但中・不但中のさとりあり、

大日経・方等・般若経の題目を聞く人は或は折空・或は体空・或は但空或は不但空・或は但中・不但中の理をばさとれどもいまだ十界互具・百界千如・三千世間の妙覚の功徳をばきかず、

その詮を説かざれば法華経より外は理即の凡夫なり、彼の経経の仏・菩薩はいまだ法華経の名字即に及ばず何に況や題目をも唱へざれば観行即にいたるべしや、故に妙楽大師の記に云く「若し超八の如是に非ずんば安んぞ此の経の所聞と為さん」(曾谷入道殿御返事・建治三年)

結局、日蓮の論法は法華経第一で結論が決まっていて、その教判に各宗の経典を並べて勝劣を付けているだけということがよく分かります。中国の天台宗・湛然が勝手に決めた「妙楽大師の記に云く「若し超八の如是に非ずんば安んぞ此の経の所聞と為さん」の超八法華を切り札にしているだけで、根拠は有りませんでした。