正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

空っぽに理屈

法華経に戻って空観を記した部分を見てみます

復次に菩薩摩訶薩、一切の法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動せず、退せず、転せず、虚空の如くにして所有の性なし。一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず。名なく相なく、実に所有なし。無量・無辺・無碍・無障なり。但因縁を以て有り、顛倒に従って生ず。故に説く、常に楽って是の如き法相を観ぜよと。是を菩薩摩訶薩の第二の親近処と名く。(法華経安楽行品)

まったく初期仏教のままで、ここの解釈をつけようがないと思うのですが、さる大乗家では以下のようにするようです。

釈して曰く、「声聞、辟支仏地に堕せず」とは、空相応に二種有り。
一つは、但だ、空。
二つは、不可得空。
但だ、空を行ずれば、声聞、辟支仏地に堕す。
不可得空を行ずれば、空また不可得にして、則ち堕すべき処無し。
復た、二種の空有り。
一つは、無方便空にして、二地に堕す。
二つは、有方便空にして、堕す所無し。直に阿耨多羅三藐三菩提に至る。
復た次に、本より深悲心有って、空に入っても則ち墮せず。大悲心無ければ則ち墮す。是の如く因縁に等しければ二地に堕せず。(大智度論)

こういう思想を大乗では、空を2種類に分けて「但空」と「不可得空」とします。後者は、無自性を獲得しながらそこに囚われない「空」であり、「色即是空」であってもその実態にも執着しない「空」となっている。一方で「但空」は「虚無」と同じである。と解釈するようです。

もともと「空」とは空っぽの意味で、中に何もない状態ですが、それに理屈を付けるというところが、すでに矛盾している論ですね。ちなみにこの論書は偽書であるということが前々から言われています。