正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

法華経は平等

一切衆生のために声聞縁覚であれ、愚者であれ、法華経は一切に仏性を認めて十如是のごとく等しく成仏の道を開くといいます。
また日蓮の経典信仰の絶対性もそこにあると推察しますが、果たしてそうでしょうか、法華経譬喩品には、こういう偈があります。

舎利弗に告ぐ 斯の経を謗せん者 若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きじ是の因縁を以て 我故に汝に語る 無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ

若し利根にして 智慧明了に 多聞強識にして 仏道を求むる者あらん 是の如きの人に 乃ち為に説くべし 若し人曾て 億百千の仏を見たてまつりて

諸の善本を植え 深心堅固ならん 是の如き人に 乃ち為に説くべし

若し人精進して 常に慈心を修し 身命を惜まざらんに 乃ち為に説くべし

若し人恭敬して 異心あることなく 諸の凡愚を離れて 独山沢に処せん

是の如きの人に 乃ち為に説くべし 又舎利弗 若し人あって悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん 是の如きの人に 乃ち為に説くべし

若し仏子の 持戒清潔なること 浄明珠の如くにして 大乗経を求むるを見ん

是の如きの人に 乃ち為に説くべし 若し人瞋なく 質直柔軟にして 常に一切を愍み 諸仏を恭敬せん 是の如きの人に 乃ち為に説くべし(法華経譬喩品)

これは明らかに説く人を選び、また差別を設けている箇所ですね。「能与一切衆生。大乗之法。但不尽能受。舎利弗。以是因縁。当知諸仏。方便力故。」と言う箇所は如来は無量の智慧・力・無所畏の諸法の蔵有って、能く一切衆に 大乗の法を与う但だ尽(ことごと)くは受くること能わず」 というとおりで、ただすべての人が、それを受け取ることができるわけではないからである。と仏ですらギブアアップする人がいることを漏らしています。

結局三乗から一乗へという意味は、法華経は菩薩でなければ聞くことも行うことも叶わない経典であるということです。