正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

方便品で分かったこと

日蓮は経題を唱えることで法華経二十八品全部の功徳を受けるというのが、もともとの発想でした。

法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正く法華経一部を真読にあそばすにて候、二返唱うるは二部乃至百返は百部・千返は千部・加様に不退に御唱え候はば不退に法華経を読む人にて候べく候(妙法尼御前御返事・弘安元年)

簡単にいえば、法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目。よって、朝夕唱目を唱えるならば、正しく法華経一部を真読されている。二遍唱えることは二部、百遍は百部、千遍は千部読むことになり、このように、怠りなく唱えるならば、怠りなく法華経を読む人であります。と書いていてその根拠として

妙楽大師も法華文句記巻八に「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と釈されています。その意味は、略して経の名だけを挙げても、そのなかに法華経の全体を収めているという文です、と書いてます。ところが、別の遺文ではこうも言います。

法華経は一代聖教の骨髄なり 自我偈は二十八品のたましひなり(法蓮抄・建治二年:真蹟:身延曽存)」

と今度は寿量品の自我偈の功徳という言を書いています、ところが前回の「禅定三昧」功徳という方便品の修行は無視しています。

「さとり」を達成する素質を具えているだけでなく、瞑想して心を静め、迷いから脱し、精神を統一して心身を平安にさせることができるという不思議な特質(岩本裕氏訳・梵品法華経

このあたりも本来の法華経に忠実とはいえませんね。