正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

何でも法華経

それでは何でもかんでも法華経が素晴らしいという、答えの決まっている日蓮論法を紹介しましょう。

「而るに今日本国は最初に仏法の渡りて候ひし比は大小雑行にて候ひしが、人王四十五代聖武天皇の御字、唐の揚州竜興寺の鑑真和尚と申せし人、漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給ひて有りしが円機未熟とやおぼしけん、此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず。大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり。此偏に法華宗の流布すべき方便なり」(下山御消息)

この遺文は 鑑真のことを書いているのですけど、この人は確かに天台系の人ですが、天台宗も系統があって天台大師の系統ではない南岳大師の弟子筋で違う系統の人です。

鑑真が渡日に際し、天台大師の『法華玄義』・『法華文句』・『摩訶止観』の法華三大部を将来したといわれ、これは現在でも保管されていますが、元々は戒律を重んじた天台律の僧侶です。

それで日蓮はこの一時(三大部を持ってきた)だけでここまで妄想するんですね。鑑真が持ってきたのはこれだけではなく初期密教系や浄土系の経典・論書も運び込んでいますが、これにはノータッチです。

しかも「漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給ひて有りしが円機未熟とやおぼしけん、此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず。」というのですが、言葉に出さないことをさも自分が知っているというような口舌です。日蓮正宗ではこんなことを言います。

渡日する一つの大きな理由として、
「我れ聞く南獄の思公(南岳大師慧思)は和国に生まれて仏法を弘むと。太子の事、我れ之を知れり」(『元亨釈書』国訳史伝部19-47)
とありますように、日本が、天台大師の師匠の南岳大師慧思の生まれ変わりとされる聖徳太子により、『法華経』を始めとして、仏法が大いに弘められたことを喜んだからであります。

これも大笑いですが、南岳慧思禅師(515-577)と聖徳太子(574-622)とは生没年が4年間重なっているんですね、これでは南岳の晩年は魂がなく、海を超えて聖徳太子に乗り移ったことになってしまいます。

こういうことを平気で言うのですから、全く信用出来ないインチキ話ですね。