正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗系では伏せ字の遺文

さて日蓮の結論ありきの法華経信仰ですが、何時頃からこういう偏執とも言える信仰に至ったのか、と遺文を調べてみますと、こういうのがありました。

此の身に学文つかまつりし事、やうやく二十四・五年にまかりなるなり。法華経を殊に信じまいらせ候ひし事は、わづかに此の六七年よりこのかたなり。又信じて候ひしかども懈怠の身たる上、或は学文と云ひ、或は世間の事にさ(障)えられて、一日わづかに一巻・一品・題目計りなり。(四恩抄・弘長2年1月16日:真蹟なし|日朝写本)

 なんと伊豆流罪の頃ですが、法華経を信じたのは僅かにこの六、七年と告白していて、それも伊豆では日常の懈怠により修行(学文・世間の些事が障害となって)もあまりすすまなかったと書いてます。

伊豆流罪は日蓮立正安国論鎌倉幕府に呈上して、それが他宗、特に念仏系に漏れて、幕府内で論議を呼び結局鎌倉市内から放逐されたという頃のものです。

あれだけ立正安国論では法華経法華経と言っているのに、それはたった六・七年の熱情だったようです。よくカルト系にありますが、信仰を教えられて熱くなって、周りをあたり構わず布教するという熱病みたいな時期がありますが、日蓮もそういうことだったのですね。

それでも伊豆流罪の頃はあまり信仰的に進まないと言ってますので、日蓮正宗の言うような生まれながらに仏の境地なんて、トンデモナイですね。