正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正しい法の見方

段々と経典の真偽とともに何が正論なのか不明となってきますが、お釈迦さんの涅槃時の事を書いた大乗涅槃経ではない、涅槃経にはこうあります。

比丘たちよ、ここに比丘が、つぎのように語ったとします。『友よ、私は世尊から、これが法である、これが律である、これが師の教えであると直接聞き、直接受けました』と。比丘たちよ、その比丘が語ったことは喜ばれるべきでもなく、非難されるべきでもありません。

喜ぶことなく、非難することなく、それらの文句をよく学び、経(仏語)に引き合わせ、律に照らし合わせるべきです。もしそれらが経に引き合わされ、律に照らし合わされて、経にも合致せず、律にも一致しないならば、そこで結論すべきです。確かにこれは、かの世尊の言葉ではなく、この比丘が誤って理解したものであると。比丘たちよ、そのような場合、これは捨てねばなりません。

しかし、もしそれらが経に引き合わされ、律に照らし合わされて、経にも合致し、律にも一致するならば、そこで結論すべきです。確かにこれは、かの世尊の言葉であり、この比丘が正しく理解したものであると。比丘たちよ、これが、第一の大教法であり、銘記されねばなりません。(長部第16大般涅槃経第四章より 片山一良訳)

これとは別の偈文に有名な「完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない」中村元訳)とも述べている、日本には戒は渡ってきましたが、律は渡ってきませんでした、つまり『友よ、私は世尊から、<これが法である、これが律である、これが師の教えである』がなかったということです。