正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

我本行菩薩道という誤解

正宗系では「我本行菩薩道」には仏因に当たる修行過程があった、その時の法は何だ、という事を言います。よくある説示はコレですね。

この時間軸を完璧に理解できれば、仏法は何も難解な物はなくなります。むしろ法華経に説かれる壮大なドラマが、自分自身で過去に書いておいた物を、改めて読み直しているかの如く、懐かしくさえ思えるのです。

釈迦は一体何時、菩薩の修行をしたのでしょうか。
そして何を修行したのでしょうか。
法華経には、具体的には何も説かれていません。
しかし具にその文の底には、本種が秘沈されているのです。
 
秘沈されている本種とは何か。それこそが釈迦が修行して、仏を開いた久遠の法であるのです。さらに釈迦は、自らの成仏の結果を以て、自らと同じように修行すれば、すべての人が成仏できる可能性を示したのです。(我本行菩薩道について)

いわゆる、それが文底であり、本種だというのです。文底の法=本種=題目・本尊というのが、お約束のフレーズです。もう一度法華経の該当偈を見てみましょう。

我本行菩薩道 所成寿命 今猶未盡 復倍上數(我(われ)本(もと)菩薩の道(どう)を行(ぎょう)じて、成(じょう)ぜし所の寿命、今猶(なお)未だ尽きず。復(また)上(かみ)の数(すう)に倍せり)

漢文訳の「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未盡 復倍上數」ですが、現存する該当部分のサンスクリット版を数本を精査すると「また、善男子よ。私は、過去の菩薩道を今もまだ完成させていないし、寿命の長さも満たされてはいません。」となっています。

つまり釈迦は成仏によってゴールしたわけではなく、仏は仏であり続けるために菩薩道を続けているということを宣言しています。 これでは正宗系はちゃぶ台ひっくり返しになりますが、中国仏教の悪しき解釈はこういうところにも出てます。