正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

建物に見る独自性のなさ

日蓮正宗の九代目の日有という人が残したと言われる化儀抄という書き物にこういうのがあります。

法華宗の御堂なんどをぱ日本様に作るべし、唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは、中門寄なんどをもすべし云云。(化儀抄・114条)

これもおかしい話ですが、室町の頃には和様と禅宗様は殆ど差がなくなっていて既に鎌倉時代の様式=禅宗様アレンジになっているのに、それが日本式だと思い込んでいたということです。室町期の建物は正宗には残っていませんが、この解説が後に施されています。

本宗の本堂などは、日本様式に建てなさい。中国式のごとく敷瓦をした形式(禅宗の本堂は此の式である)にしてはいけません。僧坊の方も立派に建てるならば中門を作り、あるいは車寄のような張り出した玄関を作ってもよろしい。(日達・化儀抄解説:略解)

(注:日本式とは、一般世間に見られるあの本堂作りであります。しかし今日は西洋建築が盛んに取り入れられて来ているから、御本尊の尊厳を損せずみんな一様に参拝できるように建立すべきです)

この日本式(和式)と禅宗様の建築様式はこちらのサイトを参考にすれば、見栄えや様式が理解できます。細かく抜粋しますと。

●飛鳥・天平時代に中国から伝えられた建築様式は、平安時代を通じて日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降、日本化した建築様式を和様と呼ぶ。
平安時代後期になると、平清盛大輪田泊対外開港など中国(宋)との交易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式で、大仏様と呼ぶ。
その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられ、禅宗と呼ぶ。

ちなみに禅宗様の寺院の建築様式の特徴を上げてみましょう。 

■南北を基本軸とした東西対称の伽藍配置(例外あり)
■仏殿は平面正方形で、間仕切りのない一室堂
■屋根に強い反り。ただし裳階屋根の反りは小さい
■放射状に垂木を置く扇垂木。ただし裳階は平行垂木が一般的
■柱と柱の間にも組物を入れる詰組(つめぐみ)
■和様では用いられなくなった三手先の使用(例外多し)
■貫(ぬき)を使い構造を強化(長押は用いられず)
■柱は丸柱で上下端をすぼませる粽
■柱の下にそろばんの玉を大きくしたような形の礎盤を置く
■柱の上部同士をつなぐ頭貫の上に水平材の台輪を置く
■壁は竪板壁で土壁は殆どない
■床は土間床で、瓦の四半敷(目地が縦横の線に対し45度になる敷き方)で仕上げる
■建物の外部には彩色をしない素木造りだが、内部はその限りではない

殆どの日本の寺建築は特に屋根が勇壮で華麗に見えるので、禅宗様を参考にしているようです。宮大工の伝承では、寺院建築に和様・天竺様・唐様(禅宗様)という区別が行われ、明治時代以降の建築史でも使用してきたそうです。

日蓮正宗のサイトの客殿や奉安堂、御影堂を見ると和様のような禅宗様のような混合タイプですね、といえども仏教の正統的建築家というとそうではなく、中国の官公庁式建築踏襲ということですね。