正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

小乗と大乗

日本や中国では小乗と蔑視された初期仏教は、なぜ蔑まれたかという理由を大体以下のように説明します。

仏教には「大乗教」と「小乗教」の区別があり、これを比較相対することを大小相対といいます。
大乗教とは大きな乗り物を、小乗教とは小さな乗り物を意味します。これについて大聖人は、
「小乗経と申す経は世間の小船のごとく、わづかに人の二人三人等は乗すれども百千人は乗せず。設ひ二人三人等は乗すれども、此岸につけて彼岸へは行きがたし。又すこしの物をば入るれども、大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船なり」(乙御前御消息 新編895頁)
と仰せられ、成仏という目的地まで大勢の人を安全に連れて行くには、その乗り物が大きく完全なものでなければならないことを教えられています。
小乗教は、釈尊が初期の阿含時において、自己の救済のみを求める声聞・縁覚等のために説かれた自利の教えであり、一切衆生を成仏させるという仏教本来の目的からは遊離しています。
 これに対して大乗教は、華厳・方等・般若・法華時において自己と多くの人々の救済を願う菩薩のために説かれた自利利他の教えで、小乗教には説かれていない深遠な法理が明かされています。したがって大乗教は小乗教より勝れているのです。(大小相対・日蓮正宗

ポイントとしては大乗が大きな乗り物に例えられ、小乗はその教えの卑小なあまり小さい乗り物だということですね。

次に小乗は二乗だということ、釈尊が初期の阿含時において、自己の救済のみを求める声聞・縁覚等のために説かれた自利の教えであり、一切衆生を成仏させるという仏教本来の目的からは遊離しています。」

この根拠として中国の五時八教を取り上げて経典として釈迦の本意を説いていないから、とします。

この教判はもう既に何度も検証しているので、触れませんが、小さい乗り物、大きい乗り物という差別感は、中国からの受け売りですね。