正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏の教えを差別する

大乗と小乗の区別でよく勘違いされているのが、初期仏教(原始仏教ともいう)=小乗だと考え違いしていることです。

小乗というのはあくまでも大乗仏教側からの蔑称で、小乗仏教と名乗っていたわけでは有りません。原始仏教時代の教団は戒律が主体で、修行方法は瞑想です。

ブッダの死後、仏教の教えは何種類もの流派に分かれて行きました。その中で残ったのが、大乗仏教小乗仏教という考えです。大乗では成仏といいますが、初期仏典では涅槃といいます。

即身成仏(そくしんじょうぶつ)とは、煩悩(ぼんのう)に覆(おお)われた凡夫(ぼんぷ)の身のままで仏になることをいい、自己の生命の奥底(おうてい)にそなわる仏性(仏界)を開き、安心立命(あんじんりゅうみょう)の境界となる最極の功徳をいいます。
この即身成仏は、小乗教で説くような煩悩をすべて滅することでも、また死んだ後にはじめて仏になるということでもありません。生きているこの身このまま、煩悩を持ったままの姿で仏の境界を得るということで、これは日蓮大聖人の仏法を信仰することによってのみ可能となるのです。
「正直に方便(ほうべん)を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕(あら)はれ、其(そ)の人の所住の処(ところ)は常寂光土(じょうじゃっこうど)なり」(御書694ページ)
と仰せられ、大聖人の仏法を信受し、題目を唱える功徳によって、自身の煩悩・業・苦の三道が、清浄にして不動の心(法身)となり、深い智慧と慈愛に満ちた人間性(般若)を開発し、人生を自由自在に遊楽(解脱)させる働きをもたらすことになると示されたのです。(日蓮正宗・寺院サイト)

こんなことを今でも言っているのがおかしいのですが、日蓮正宗ではあくまでも即身成仏を墨守して、小乗の成仏は灰身滅智という言い方をしていますが、この解釈は中国からの受け売りで、上座仏教とかテーラワーダ仏教では涅槃に関係する経典書物は多くあり、釈迦の在世で阿羅漢に達した人も多くいます。