正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗仏法、あらまし

大乗でも正宗さんは面白いのです、仏教は空を前提として外道教と対抗してきたのですが、久遠元初という元初めを設定してます。これは久遠実成という時間設定に対抗して時間をさらに遡らせます。

日蓮正宗の宗旨というのは釈尊の教えによって宗祖が悟られたのではなく、逆に宗祖の教え(本尊と題目)によって法華経釈尊は悟りを開くことができたということが教義の中核で、逆転現象を起こさせることです。

久遠とは、久遠元初のこと。久遠元初はそのまま末法であり、末法はそのまま久遠元初であることをいう。

久遠元初と末法は、弘通される教法が文底本因下種の妙法、弘通する仏が名字凡身の下種の本仏、化導を被る衆生が本未有善の機根である。これらの理由により、久遠元初と末法は、ともに本因下種の時であり同一である。

日蓮大聖人は、『当体義抄』『総勘文抄』などにおいて、本門文上の五百塵点劫の久遠本果の本地より、さらに文底に秘沈された久遠元初の本地とその法・仏を明らかにされた。その教法とは本因下種の妙法であり、その教主とは、名字凡身の本仏釈尊、すなわち久遠元初の自受用報身如来である。(日蓮正宗サイトから引用)

久遠元初の自受用報身如来日蓮です)が南無妙法蓮華経如来の身体でも有る本尊を顕しますが、それを信じた順縁の者達(本果第一番成道の釈尊を含む)が速やかに仏となりました。これを久遠成道といい、第一番に悟ったのが法華経釈尊だといいます。

その時に信じられなかった衆生は悪道へ墜ちて長く苦しんだ。これは末法という現代でも同じで、下種されてない人達を本未有善といいまして、久遠成道した釈迦以降の衆生は久遠に下種されていながら修行していきますので本已有善の衆生といいます。

この二機の衆生は交わることなく、三種の時代(正像末)と釈尊が説く題目と本尊を隠した仏法に於ける種・熟・脱は別物とされています。

釈尊の化導により過去に下種された本已有善の者達は、ようやく仏道を成就しこの世から本已有善の者達は居なくなる、そして末法となって仏教に縁のない新たな衆生が出現し、その縁機のために応じた仏が現れる、それが日蓮というわけです。

そのチェンジポイントの教法は正像の仏教では救い難く嘗ての釈尊の教えはことごとく「白法隠没」して新たな仏法が説かれる必要があります、末法の衆生のための成佛の法、というのがアラマシなんです。

一番驚くのは、どこにも仏教の必須である三法印の無我とか無常とか出てこないことですね。