正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

追加の経典??

正宗さんの久遠常住という発想ですが、ベースは法華経と言いながら法華経は、この世界を塵にしてとか、私は成佛して以来百千万億那由多とか、壮大な物語風が記されるのみで、なぜ無我と空が転換して「常住」となるかは詳しく説明してません。

そこで出てくるのが涅槃経で、如来の常住ということを法華経で説かなかった部分を補足的に表しています。元々如来常住は、金光明経の如来寿量品で「仏は般涅槃せず、正法また滅せず、衆生を利せんが為の故に当に滅尽する事を示現す」とありますが、これを法華経に関係つけて以下のように説きます。

法とは常と名づけ、亦無辺と名づく。思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからず。而も亦見るべし。若し説きて不可見と言ふ有らば、是の如きの人依るべからざる所なり。是の故に法に依りて人に依らず。

一切衆生 悉く仏性有り仏性は雄猛にして毀壊すべきこと難し。利養を為ての故に文に随いて説く。是の如く説く者を、名づけて悪人と為す。
智者も亦しかなり。凡夫の中に於いて身命を惜しまず。如来常住にして変易有ること無し。福尽是命尽に非ず命尽是福尽に非ず如来一切衆生の為に諸法を演説すと雖も、実は所説無し。
一人の起愛無量無辺なる、声聞、縁覚の知ること能わざる所なり。下を名づけて喜と為し、上を名づけて楽と為す。
我為と言うは一切凡夫なり。寿命の為にせず、常命の為の故なり。一切の凡夫所有の身心は自在を得ず、或は身心に随い、或は心身に随う。
有智の人は智恵力を以って、能く地獄極重の業をして現世に軽く受けしめ、愚痴の人は現世の軽業、地獄に重く受く。
若し業定んで現世報を得ば、則ち生報、後報を得ること能はじ。若し諸業定んで報を得と言はば、則ち梵行、解脱、涅槃を修習すること有ることを得ず。
無明とは即ち是(これ)貪の因、瞋の因、癡の因。若し実想を観ぜば、是の人能く一切諸有を断ず。常、楽、我、浄 。(涅槃経)

涅槃経は法華経の説を重ねて追って述べているので、 追説追泯(ついせつついみん)の経典と言われています。なお、法華経を訳した羅什は当時はまだ涅槃経が中国に到来しておらず、ようやく法顕の訳した泥洹経(涅槃経の別名)が渡ってきた時には羅什は亡くなった後でした。