正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

末法灯明記でバレる

最澄に仮託した偽書である末法灯明記は随所に日蓮も取り上げた仁王経や大集経を引いて末世の国と仏教興廃を説いてますが、末文ではこういう締めくくりになっています。

まさに破戒・無戒の二つのものを分別せず、共に一つのありがたき仏飯として餐するがいい。有名無実であろうとも、「僧」や「尼」は、絶えることはなく、仏法の神韻を伝える梵鐘の音は、永遠に失われることはない。(末法燈明記・現代文)

この文書を悲観的に捉えたのが日蓮親鸞法然、肯定的に捉えたのが栄西道元で、前者は末法だから易行を元として阿弥陀如来にすがるとか、題目専心で救われるとか、としましたが、後者は特に変わることなく持戒して得道を目指すとしたようです。

特に日蓮については、諸宗を否定して国師を目指したようですが、日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事決定なるべし。(建治元年五月・一谷入道女房御書・真蹟)と言い切ってます。しかし日蓮も閲覧した末法灯明記はこう書いています。

「もし私の弟子が、国政の役人として登用されたとしたら、それは私の弟子では、最早、ない。〔そのような国政にあっては、〕大小の僧の集団(=教団)を設けて、お互いがお互いを脅かし、縛りつけることとなるであろう。まさにそのような時に於いて、仏法は、滅び、没してしまうのだ。このような国政こそが、仏法を破り、ひいてはその国を滅ぼす因縁となるのである云々」と。(末法燈明記・現代文)

これによると、日蓮は弟子ではないようですね。