正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

無茶な三身常住論

日蓮正宗でも三身常住と言うことをいいます。法華経では「常住此説法」として法華経釈尊は肉体は滅んだが永遠の釈迦仏が衆生済度のために法華経を説法し続けるのですが、日蓮正宗ではこの釈迦はいつの間にか日蓮にすり替わります。

三大秘法の内証は法身・報身・応身の三身相即の本門下種の本仏の常住であり、その御当体における三大秘法が末法に出現されるわけですから、それは釈尊の一代の化導のすべてを含み、乃至三世十方の諸仏の化導のすべても含んでおるのであります。
したがって、釈尊の出現や化導はその仏様の中の一分でありますから、大乗非仏説のように釈尊を根本とすることは誤りであり、かえって、常住の本仏より釈尊の化導の位置が定まるのです。故に、非仏説などによって常住無始の寿量品の仏の根拠が崩れるようなことはないのです。むしろ寿量品の仏の用きの一分の中において、娑婆往来八千遍とも言われる一々の仏の出現が存するわけであります。(仏滅年代・大日蓮第548号:阿部日顕

と、苦しい説明をしています。 この論で行けば日蓮は久遠元初の自受用身(日蓮)という存在であるが、鎌倉期に誕生した時にはその自覚はなく、上行菩薩として再自覚し、辰口で発迹顕本の機会があってその後本地を顕発したというストーリーですが、それでは断続期間が認められてしまいます。

ということは法華経でいう「常住此説法」と矛盾が出来てしまいます。いわゆる無仏の期間ですね。仏が不在の期間の済度はどうなるのか、済度しない時間帯は仏が無慈悲の謗りを受けることになります。

このブランクを正宗では一切説明していません。