正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

途切れてる三世常住

無仏の時間を日蓮正宗ではこのように説明しようとしています。

弘安以後の本尊中、「仏滅後二千二百二十余年」とお示しあそばされているから究竟の本尊ではないというようなことは、全くないのであります。さらにまた、この讃文は寿量品の仏の常住の仏身の上の御境界としての滅不滅をお示しになっていらっしゃるわけですから、釈尊が亡くなってから実際には千七百何年しか経っていないから、「仏滅後二千二百云云」と言うのは間違っている、などという議論は全く当てはまらないのです。皆さんもそこを肚に入れておいてもらいたいと思います。

つまり、肉身の釈尊の入滅からだけ算定すると、大聖人の仏滅讃文は、近年の科学的実証研究による仏滅年代と比較して、たしかに違っているのです。ところが「三十余年」というめどにおいて示された寿量品の仏から算定するならば、三世常住における仏身の滅不滅が基本になるのです。すなわち、大聖人の仏滅讃文は滅不滅の仏を表したものである故に、近代研究における事実上の釈尊肉身の仏滅年代に影響されるということは絶対にないのであります。(仏滅年代・大日蓮第548号:阿部日顕

これは弘安期以降に現された本尊義から仏滅年代のことに触れて、三世常住の仏は滅不滅の境涯を持ち、その仏身は寿量品の仏だと言ってるのですが、根本的に日蓮は出生以後、竜の口で発迹顕本し上行菩薩→久遠元初の自受用身報身如来というプロセスの中の以後のことしか、説明していなく、それ以前は触れていない事になり、このままだと無仏=衆生済度のゼロ期間があるということが決定してしまいます。

これでは三世常住とか、三身常住は矛盾を抱えることになり、仏の化導も断続が出てきて法華経はウソを書いていることになってしまいます 日本で末法入りは1052年(永承7年)からですが、竜の口の発迹顕本までの三世常住の仏の施化は途絶えてしまい、そこは一切説明してません。