正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

菩薩か、本仏か?

前回前々回、と無仏の期間を確認しましたが、日蓮も認めるように無仏という仏の救済の無い時間は有ると言うことでした。

法華経常住此説法無為な言葉となり、法華経に説く久遠常住も只のスローガンとなりはててしまいました。こんなものです。

さて先月は池上本門寺でも御会式という行事があって、池上邸で亡くなった日蓮の命日を盛大に知らしめるということで年間行事の大きなイベントが有りました。日蓮正宗でもその式を挙行していて、大要以下の様な意義を説きます。

大聖人は末法有縁の下種の御本仏であり、一閻浮提第一の聖人であり、末法万年の闇を照らし、濁悪の時代の一切衆生を救済し給う三世常住の仏であります。この三世常住、永劫不滅の仏が何故に現実に入滅せられたのか、この御化導の御本意を知らなくてはなりません。それは法華経の「寿量品」に、「衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず」(開結四三九項)と説かれるが如く、仏の生命は常住であるけれども、もしも仮にいつまでもこの土に住して、近くに実在されますと衆生は悉く安心していつしか渇仰の心を失ってしまいます。
  そこで大聖人は一切の人々に仏の値い難きを教えんが為、恋慕発心の心をおこさしめんが為に、敢えて方便として寂滅の相を示現して入滅され、難遭の想いを生ぜしめ仏道修行の大事を勧奨せられたのです。(日蓮正宗・御会式)

こちらは池上の日蓮大菩薩と違って、本仏ですので三世常住の仏は釈迦ではなく日蓮です。で、三世常住がどうとか言っても日蓮が本仏だという意識が有ったのかどうかは真蹟遺文からはかなり怪しいのです。

「問て曰く此の経文の〔遣使還告〕は如何。
答て曰く四依也。(中略)本門の四依地涌千界は末法の始めに必ず出現すべし。今の遣使還告は地涌也。」(観心本尊抄・真蹟)

「而るに地涌千界の大菩薩(日蓮等)、一には娑婆世界に住すること、多塵劫なり。二には釈尊に随て久遠より已来初発心の弟子也。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩也。是の如き等の宿縁之方便、諸大菩薩に超過せり。」(曾谷入道殿許御書・真蹟断簡)

「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず、いかでかあらわれさせ給わざるべき」(宝軽法重事・真蹟)

みな対告衆の違う真蹟ばかりですが、三人拾うだけでも自分が仏だとの気配も見えません。とりわけ一番下の西山入道に与えた「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず」 から日蓮本仏を伺うには相当無理があると思いますね。

御会式で久遠本仏の三世常住を寿ぐと言っても、実際は途中で破綻していたりしては、平安時代かぐや姫などと同じお伽話ですね。