正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日順の本仏論?

日興の微妙な本仏論でしたが、同時代に生きた弟子関係の書物に見える本仏論はどうでしょうか?まず重須談所の第二代学頭だった日順さんですね。

「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり」(三位日順|表白:富要2巻-11|本山蔵日心の本(立正抄等合本)に依り)

「本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り」(誓文:2巻-28|要法寺蔵古写本に依り)

「然るに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼の本仏の顕し玉ふ所なれば日本を中国と云ふなり」(日順雑集:富要2巻-113)

 これだけをみると大石寺系の人は喜んでしまいますが、別の書物には全く違う見解もあります。

「生を二仏の中間に受くる」
「像法=迹門=薬王菩薩=天台大師=根本大師(伝教) 末法=本門の肝心=上行菩薩」(表白:富要2巻-11)

これは微妙ですね、「生を二仏の中間に受くる」となれば、釈迦と弥勒の中間と言うことですね。さらに下の系図っぽいのは日蓮=上行菩薩としています。

「末法の敬信すべき人法、人は上行後身の日蓮聖人、法は寿量品の肝心たる五字の題目なり。」
「久遠実成の如来(中略)五百塵点の実成を明かし、(中略)皆直ちに如実知見の妙法を聴きて、速に本仏の身を成す」
「久遠の如来は首題を上行菩薩に付属し、日蓮聖人の法門は日興上人に継承し」(用心抄・妙蓮寺日眼相伝→南条日住写本)

こちらも上行菩薩=日蓮で、本仏というのは 「皆直ちに如実知見の妙法を聴きて、速に本仏の身を成す」とありますので、一人に委ねられたものではないという見解ですね。