正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

更に日順文書

日順作と伝わる書物にはそれとなく日蓮本仏っぽいのもありますが、その殆どが他の五老僧と同じく上行=日蓮、久成の釈迦本仏のスタンスです。

「久遠実成の如来は(中略)末法の時には法華本門を上行菩薩に付属す(中略)日蓮聖人の出現は上行菩薩の後身なり、」
「日興上人は(中略)始行の菩薩に非ず、殆ど無辺行の応現か」
「久遠実成釈迦如来ー上行菩薩ー後身日蓮聖人」(日順阿闍梨血脈・日心写本)

こういう文章に対し日蓮正宗では正平5年(1350年)重須二代学頭・日順師の『摧邪立正抄』には、本門戒壇の大御本尊の存在について文書が残っている、と説きます。

「法華は諸経中の第一・富士は諸山中の第一なり、故に日興上人独り彼の山を卜して居し、爾前迹門の謗法を対治して法華本門の戒壇を建てんと欲し、本門の大漫荼羅を安置し奉って」(富士宗学要集第2巻・摧邪立正抄)

が、おなじ摧邪立正抄の文書には以下のような都合の悪い文章もあり、こちらの方は見せないようです。

「末法万年の時には・本化上行を召して本門の秘要を嘱し・仏付違はず経説に符合す、日蓮聖人出現して結要付嘱を弘通す、宣示の相貌即ち是れ上行菩薩の後身なり」

第六に富士の義と称して挙ぐる所尤然かなり、夫れ日蓮聖人は忝くも上行菩薩の応化・末法流布の導師なり、未了者の為めに事を以て理を顕はすの昔は虚空会に出現して以要言の付嘱を受け、後五百歳必応流伝の今は扶桑国に降臨して広宣流布の実語を表す、(中略)彼は薬王・此れは上行・彼は迹化・此れは本化・彼は迹門・此れは本門・彼は始成・此れは久成、彼は像機・此れは末法、時機隔て相違水火の如し経釈の説相御書明白なり、何ぞ本化上行の後身を以つて迹化薬王の弟子と卑下せんや」

「富士の義に云はく・日蓮聖人は上行菩薩にて御座す、大宮方には迹化の菩薩と申すは僻見なりと云云。」(富士宗学要集第2巻・摧邪立正抄)

この大宮方というのは京都に進出した日像門流のことで、日像門流では迹化の菩薩と観察していたようです。この摧邪立正抄に出てくる日像や日学は日蓮は上行に非ずという解釈をしていたと、いう論争です。ですので上の「本門の大漫荼羅を安置し奉って」という文章も仏像対曼荼羅という主張を言っているものと思いますね