正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

本因妙抄のネタ元

怪しい相伝書の「本因妙抄」ですが、他門系では偽書と断じられてその根拠は、種本となつた『七面口決』は天台三大部についての各々七重の口決と三大章疏同異決との四章からなり、最澄の述作と伝えられています、ところがこの七面口決は最澄撰とはいえないシロモノです。

「本因妙抄は天台の、三大章疏七面七重口決を台とし、これを大聖人弘通の本因妙の義において説かれたものであり、天台教学の思想的展開に対する本化弘通の規模における付属の法体の碩別を拝する。」(日蓮正宗要義・224頁)

と、正宗ではそのベースを「三大章疏七面七重口決」と認めています。そしてあくまでも日蓮撰としています。さて問題の「三大章疏七面相承口決」には最澄「大唐貞元二十四年五月日に相伝を受けた」と書かれています。「本因妙抄」の該当文を見てみましょう。

「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値い奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」(本因妙抄)

ここで確認できるのは「大唐貞元二十四年五月日に相伝(七面口決)で本因妙抄は「大唐貞元二十四年太歳乙酉五月三日」で同じ年の5月(日付は七面口決にはない)ですね。これは西洋歴では808年で、日本の場合は大同3年となリます。ところが最澄の史跡を追うと

「延暦二十三年(804年)の項に七月六日肥前国松浦郡田浦を発し唐に向ふ。」
「延暦二十四年(805年)の項に六月五日対馬国下懸郡阿禮村に着し、尋で長門国に到る。」(伝教大師伝)

となっていて、延暦二十四年(805年)には日本に帰ってきています。ところが「本因妙抄・七面口決」共に、大唐貞元二十四年(808年)には唐で相伝を受けた」となっているんですね。

大石寺四世日時師筆写本も、やはり大唐貞元二十四年(808年)となっているそうです。こういう些細なミスで偽書であることは、もうバレているんですね。

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