正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

更に疑惑の本因妙抄

本因妙抄と百六箇抄を指して両巻血脈抄とも言いますが、五十七世の日亨氏がこの遺文に加筆した後を大石寺学林で講義した中で以下のように説明しています。

●「若し末法において本迹一致と修行し、所化等に教ゆる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せんともがらも阿鼻に沈まんO其の時万人一人も無く、唯我日蓮与我日興計りなり。」

●「又日文字の口伝O日蓮在御判」

ここから日亨氏の解釈「右二十七行の文は宗祖より開山へ相伝された本には恐らく無かったと思ふ。」

「右にこれ等の文は宗祖の言われる筈にあらざる文,后世で無くては言へない文が多い。開山己后西山等に伝わってから記されたものと思ふ。」(日亨上人講述・両巻抄講義)

と言う見解で、「本因妙抄」の末文を後代の添加としています。さらに「法華本門宗」という呼称は真蹟・曾存・真偽未決の遺文の中には皆無であり、「本因妙の行者日蓮之を記す」とあるが、「本因妙」なる語も同様の他の日蓮や日興遺文には皆無であること。

「久遠元初」という言葉は、日蓮や日興の確実な真蹟遺文には書かれたこともなく、一つも見いだせない。 

「本因妙抄」が著された弘安五年(1282年)十月十一日の頃は、日蓮は池上において既に病に伏し筆を持つ力もなかった
このことは日興に代筆させている「波木井殿御報」に明らかであり、同年十月八日に日蓮は本弟子六人を指名しているが、それも日興に代筆させている。これらの状況から鑑みて、この書が口述筆記でなければあり得ない量なのですが、そんな記録も残っていません。