正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

仏陀の内証

さて本因妙抄や百六箇抄などの書物には本来、仏陀の内証の悟りは「不可説」が前提であり、経典や論書は全て輪郭を示す程度な訳ですから、悟りに至る方法論を言葉を用いて様々に説くことは可能ではあるが、仏陀の内証の悟りは、修行者が感得するより他はないのです。

これを「因分可説・果分不可説」ともいいますが、不可説な部分は修行者が自己申告で悟りましたというわけには行かず、師匠が印可を出すことで伝法という次第が重要です。

若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて宜く予が正義に随うべし、正義とは本迹勝劣の深秘・具騰本種の実理なり、日蓮一期の大事なれば弟子等にも朝な夕なに教え亦一期の所造等悉く此の義なり、然りと雖も迹執を出でず・或は軽見惑或は蔑思惑或は癡塵沙惑或は迷無明惑、故に日蓮が立義を用いざるか、予が教相・観心は理即・名字・愚悪愚見の為なり。
日蓮は名字即の位 弟子檀那は理即の位なり、上行所伝結要付属の行儀は教観判乗・皆名字即・五味の主の修行なり(本因妙抄)

上記の本因妙抄には「上行所伝結要付属の行儀」とあるのですが、この遺文には、それを証明する師匠の名称もなく、ほぼ自己申告です。

鎌倉仏教祖のなかでは諸伝によれば道元自身は、十四歳で叡山座主公円に就いて落髪受戒しており、最澄が定めた単受菩薩戒という制度で出家した天台僧ですが、唐で修行した際に如浄から「身心脱落」印可を得ています、師匠も得果もはっきりしているわけです。

一、五人一同に云く、聖人の法門は天台宗なり 仍つて比叡山に於て出家授戒し畢んぬ。 (富士一跡門徒存知の事) 

この言い分でも欠けるのは受戒の師は誰という記述がないことです。しかも清澄で剃髪出家したはずですが、その際の道善房のみが遺文に確認できる日蓮唯一の出家関係の師です。これで内証の秘法といわれても、信ずる人はこういう次第を知らない人だけでしょう。