正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

釈迦と上行

日蓮正宗の宗祖本仏論は色々構築されているようですが、代表的なのはこういう論旨です。

「本果妙の釈迦仏・本因妙の上行菩薩、久遠の妙法は果、今日の寿量品は花なるが故に従果向因の本迹」(百六箇抄)。

この文は久遠従果向因の本迹ではあるが、本因・本果は因果倶時で教理上の釈尊と久遠の上行菩薩とは一体不二の関係にあり、従ってこの師弟は不二ともなるという。
教理上の人が一体不二であるばかりでなく、その所持する法、即ち久遠の妙法も今日の寿量品も一体不二となるのである。
一体不二なる二者間における付嘱は、果から因への付嘱として滅後の為という仏果の未来化を示すことになる。
「本果妙の釈尊、本因妙の上行菩薩を召しい出す事は一向に滅後末法利益の為なり」(百六箇抄)となり、正像二千年間に上行菩薩が出現していないから滅後は末法とするのである。(日蓮本仏論

正宗の本仏論の中核は殆どが、御義口伝や百六箇抄・本因妙抄を引用して釈迦と上行菩薩の二人を本因と本果一体(因果倶時)と論じるか、互いに機(末法衆生の機)に応じて釈迦・上行の変現と説くか、或いは本師(日蓮・久遠本仏)が釈迦の一仏教導を助けるために菩薩の姿を借りて、久遠寿命を顕すとかですね。

これらは法華経というベースに現れた上行菩薩を含む地涌の菩薩という久遠の過去に釈迦に教導されたという存在を顕すことで、法華経会座の弥勒の問いにインドに現れた釈迦ではなく、過去以来からの久遠の本地を顕す法華経上の釈迦との二重構造になっています。

その前提に乗っかったのが日蓮本仏論であるともいえます、でもこのベースが仮のものであれば全て崩壊です。