正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

不思議の付属

日蓮正宗では法華経の会座に現れた地涌の菩薩達について以下の様に法華経を引用し、その付属の大事を言います。

■是(こ)の菩薩衆(ぼさつしゅ)の中に、四導師(しどうし)有り。一を上行(じょうぎょう)と名づけ、二を無辺行(むへんぎょう)と名づけ、三を浄行(じょうぎょう)と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其(そ)の衆の中に於(おい)て、最も為(こ)れ上首(じょうしゅ)唱導(しょうどう)の師なり(法華経

■「是(こ)の人」とは「上行菩薩」であり、神力品の付嘱は、別して上行菩薩御一人への要法付嘱であった、と仰(おお)せられている。これらの金言によって判ずるならば、地涌六万恒河沙の導師は四菩薩であるが、さらにその四菩薩の中でも、別して上行菩薩ただ御一人に付嘱がなされ、滅後末法の大導師と定められたことが明らかである。

とあるようです、それで神力品の該当部分を見てみますと、ちょっとニュアンスが違います。四菩薩に付属したとする神力品には「爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく(神力品)」とありまして、上行一人だけではないです「等」という複数のニュアンスを意味する文字がついています。

さらに本仏として互いに釈迦と上行が主伴する意味を為す言葉は見当たりません「是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし(神力品)」とあって、あくまで師匠が弟子に修行の 遺戒を言い渡しています。

ここから導かれるのは、縦の師匠→弟子という道筋しか見当たりません。並列や師匠弟子が連環するというメッセージは有りません。

しかも「上行等の菩薩大衆」は上行一人に個別内々に相承というよりもその場に参集した地涌の菩薩達に行われたというニュアンスしか理解できません。さらにその修業が結業した暁には、と言う前提で「我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん(神力品)」という菩薩から成佛への保証が釈迦に依ってうたれています。

結論すればどこにも釈迦と上行は補いあって仏の境地を顕すなどというニュアンスは有りませんね。