正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

武器になった五重玄

いままでをまとめますと、天台大師の法華玄義に書かれた五重玄義はそれまでの中国仏教の教学的解釈の流れの一環で著されたもの。妙法蓮華経を釈した五重玄はあくまで一心三観など実相習得の修行のためのものであった。

次にこの解釈方法が隋の時代に法華最勝を誇示するために宣揚された結果、五重玄義が天台教学の差別化の「旗印」 の一つであるという事。

天台大師以降の中国天台の諸師は五重玄義と五時教判を並べて経典の優劣解釈を判断する方法を踏襲、その後の日本においても五重玄義・五時教判が採り上げられ法華最勝の武器になっている。日蓮遺文でも同じことが認められる。

「釈迦如来法華経をとかんとおぼしめして世に出でましましゝかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十のころより七十余にいたるまで法華経の方便をまうけ(設け)、七十二にして始て題目を呼出させ給へば諸経の題目に是を比ぶべからず。其上法華経の肝心たる方便、寿量の一念三千、久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。

天台大師玄義十巻をつくり給ふ。第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣給ふ。第二の巻より七の巻までは又広く妙の一字を宣べ八の巻より九の巻までは法華経の三字を釈し、第十の巻には経の一字を宣給へり。経の一字には華厳、阿含、方等、涅槃経を収たり。妙法の二字は玄義の心は百界千如、心、 佛、衆生の法門なり」(唱法華題目鈔)

 もちろん、ここに書かれていることは天台宗の五時八教に上乗せした想像の話を事実と思い込んで書かれているだけで、実在の釈迦は大乗仏典の法華経とは無縁の人です。