正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

本尊に題目

日蓮遺文には、題目はマントラだと認めた文書が残っています。

「其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には「我が此の法印世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語皆是れ真言なり」 (真言見聞)

ここに「舌相の言語皆是れ真言なり」とありますので、題目を唱えるという行為は念仏に対抗した意味もありますが、鎌倉期には密教が高級なものという時勢もあって真言家にも対抗上、日蓮はそういう認識だったんでしょう。

さてこのマントラ(mantra)ですが、言葉の由来としては大日経などの密教経典が発生のもとで、サンスクリット語では「真実の言葉」という意。

これが転じて仏の言葉(金言)とも言われるように。密教系では真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いるそうです。
漢訳では咒、明咒とも訳されましたが、「真実」の真を取り入れ「真言」と訳したわけです。真言と言うくらいですから、この言葉自体が真理そのものを表していると言う事になります。

こういう経典解釈が中国を経て、日本に転じて招来してきた解釈の上に唱題という行為が仏意に叶っていると発展したのでしょうが、本来は妙法蓮華経法華経)二十八品に南無するが→仏の言葉(経題)に転じていった上に、唱題と曼荼羅の中尊が意味のあるものと日蓮の心中では成立していったのでしょう。
法華経は読んでみると効能書きばかりで中身(丸薬)が無いと言われてきたのですが、丸薬のない抽象に南無するということが、初手から意味のないことだということですね。