正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

神社参拝

お正月はいいですね、正宗では神社参拝はタブーであの社には善神はおらず悪鬼がいるそうです。その根拠は神天上法門というのもありますが、遺文にもかくの如く綴られています。

◎かかる謗法の国なれば天もすてぬ。天すつ(捨つ)れば、ふるき(古き)守護の善神も、ほこら(祠)をや(焼)ひて寂光(じゃっこう)の都へかへり給いぬ(報恩抄)


◎日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩・天神七代地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体(たい)の神つらなる・其の余の用(ゆう)の神、豈(あに)もるべきや。(中略)此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて、本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる是を本尊とは申すなり(日女御前御返事)

 

◎もししからば八幡大菩薩日蓮が頂を、はなれさせ給いては、いづれの人の頂にか、すみ給はん(法門申さるべき様の事)


法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。法華経の第五に云く、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す。経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり(諌暁八幡抄)


◎此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にう(飢)へて社をすて天に上り給へば、社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀化をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔・寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ(新池御書)

 だ、そうです。この論説も六老僧の間ではいろいろ見解が有るようで、五老僧では法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし」で、法華経の行者の頂に住むとか、日興門流ではいや居ないとか云うようです。