正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日本は神国:6

それでは神国王御書の日本国について本文の方のおかしなところです。

日本国を亦水穂の国と云い亦野馬台又秋津島又扶桑等云云、六十六ケ国、二つの島已上、六十八ケ国・東西三千余里.南北は不定なり(神国王御書・真蹟)

 この水穂の国の箇所ですが水田稲作弥生時代(b.c.500~a.d.300)に北九州から始まったことが現在では調査などで確認されています。中国から半島を通じて渡来した民族が稲作、金属の使用、機織(はたおり)、大きな共同墓地の造営。これらが文明複合体として民族とともに輸入され、一斉に花開いた。

言語も、それらの文明の一部として日本に同時に輸入されたであろうとされています。ということは縄文期を無視して「豊葦原の瑞穂の国」(神国王御書では水穂の国と表示)は天地開闢の初めから日本の地にあったものではなかったということです。

また日蓮が云う「野馬台」(邪馬臺國)とは邪馬台国のことかと思われますが、中国で「三国志魏書東夷伝倭人条」には一つの集権的なものと認識されていましたが、親魏倭王卑弥呼は、約30の国からなる倭国の都と記され他にも似たような部族があったことが残されています。

これは卑弥呼朝貢する前の『後漢書東夷伝には、西暦57年に、ナの国(奴国)と名乗るクニの王の使者が、後漢の都である洛陽に赴き、後漢の初代皇帝である光武帝(劉秀)より印綬を授かったことが記されています。その証拠と思われる光武帝の金印が福岡県福岡市の志賀島より発見されています。

この後に卑弥呼朝貢があった、つまり一部族の朝貢を日本全体の国家としての行為と見ているのは誤りですね。他にも国内には先住部族がいましたので、日本の国の先住民の祀ろう神は認識の欄外だったようです。