正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日本は神国:13

日蓮遺文には釈迦=八幡大菩薩という根拠を示した遺文があります。

八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)をば世間の智者・愚者、大体は阿弥陀仏の化身(けしん)と申し候ぞ。(中略)
其れ実には釈迦仏にておはしまし候ぞ。其の故は大隅の国に石体の銘と申す事あり。
一つの石われて二つになる。一つの石には八幡と申す二字あり。
一つの石の銘には「昔霊鷲山に於て妙法華経を説き、今は正宮の中に在って大菩薩と示現す」云云。是釈迦仏と申す第一の証文なり。(四条金吾許御文・弘安三年一二月一六日)

弘安三年ですのでほぼ日蓮の人生では末期です、ということは見解的にこれが最終結論かと思われます。この大隅国とは西海道(さいかいどう、にしのみち)は、五畿七道の一つ。

九州とその周辺の島々の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。日向こと現在の鹿児島県のことだと思われます。

ところが、八幡=釈迦仏という日蓮の根拠は古来から云われているようなニュアンスですが、実は十世紀頃に白山の僧侶によって、権現思想(本地垂迹思想)が宇佐八幡宮に取り入れられ、この時期に法華経信仰が入ったようです。

弥勒寺僧の修行の場であった、六郷山や彦山にも延暦寺・天台僧が活動してくるようになり、石清水八幡宮天台座主を兼任した天慶の乱に際して藤原純友(すみとも)らを調伏する大威徳法をおこなった義海(871-946・平安時代中期の僧)の出現によって、天台思想と八幡思想が結合する契機が生まれた。

つまりここで、天台僧の関与により石清水八幡や宇佐八幡宮の大菩薩観が釈迦の本地とされる基礎が出来上がったということです。

実際に延暦寺石清水八幡宮の神宮寺・護国寺は、共に京の鬼門(東北)と裏鬼門(南西)に当たることから、天台宗の鎮護国家の祭祀を行い、それぞれ境内の土中八方に仏具(輪宝、独鈷杵など)を埋めたとされています。

後年、両寺からその祭祀跡が見つかっていることからも、両寺の結びつきは硬いものがあります。このような経由から八幡大菩薩=釈迦如来という伝説が結び付けられたと云うわけです。

天台信仰には、最澄の法華一乗思想と、十世紀頃に恵心僧都こと源信の影響で登場してくる浄土思想という2つの柱があり、八幡大菩薩本地仏が釈迦如来阿弥陀如来という両輪になったと考えられますね。