正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

天界の神

日蓮遺文では「日本の神は法味に飢えて祠を焼いて天上に上がった」とされます。だから神社には神はいない→悪鬼が居る→拝むのはいけない。という理屈です。

さてそこで欲界の上部の天界・天人を指して、日蓮はこのような神天上を考えたと思いますが、仏典に残されたインドの神はどういうものでしょう。

「正法念処経」によれば、天人(神)の衣食は天人が望むままに現れ、非常に美味で上等なものが得られる。とあります。

初期仏典にも神々は、食事も取るとあります。しかし食事といっても人界のような調理したものや肉などを食べるのではなく、食事内容は精神的なエネルギーを食すとあります。

仏教では生きるために取る食事にの種類に4種類あるとしています(四食【しじき】)。その一つの段食(だんじき)というのが人間が主に食べる食事で、この他に精神的な食事が3種類あります。神々は、こういった精神的なエネルギーを食事にしているようです。

1つ目は、「段食」(だんじき)
私たちが身体を養うために食べている野菜や肉、お米などの食べ物のことです。
命を少しずつのかたまり(分々段々)で食べるので、段食と言います。
これは4つの中で唯一目に見える食べ物です。

2つ目は、「触食」(そくじき)
笑い、喜び、楽しさ、などをつくり出す感情です。
これは食べ物と同じように身体を元気にし、心の栄養になるものです。
さまざまな物事に触れて生じる喜びや心地よさによって、生きるエネルギーを得ることができます。

3つ目は、「思食」(しじき)
夢や希望です。希望があれば人はイキイキと生きることができます。
希望があるから困難な状況でも耐えることができます。
夢や希望を持ち、何かを思うこと自体が、生きる意欲を生み出す食べ物。

4つ目は、「識食」(しきじき)
「心」そのもののことです。
心で「生きている」ということを自覚することはとても大切なことです。
心の動き一つで身体は元気にも病気にもなります。心そのものが身体に関わる大切な食べ物だというわけです。

この段食以外の食である心のエネルギーは、神々が天界で音楽や踊りなど楽しむことで生じ、天界というところは何を行うことにしても悲しみや憂いがないので喜楽ばかりの世界です。

楽しんで、喜びに満ちて、綺麗な音楽がなり幸せな気分で生活することで、どんどんエネルギーが出てきて、それでお腹も一杯になるようです。つまり自給自足の世界ですね。日蓮の理論の神天上の概念とはかなり違ってますね。