正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

天界の神:6

それでは十法界明因果抄の「色・無色天には下地はソ苦障・上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり」ですが、少し難しいですがこういうことです。

六行観とは『倶舎論』・『四教儀註』によりますと、下界(下地)を麁・苦・障の三つ(下地三行相)、天界(上地)を静・妙・離の三つ(上地三行相)、これを合わせて六行相といいます。(六行観)

「無間道においては、現在自分が到達している地とそれ以下の地を対象として、麁(そ)であり、苦であり、障であるという三行相を観じて厭い、解脱道においては、現在自分が到達している地よりも上の地を対象として、逆に、静、妙、離の三行相を観じてこれを欣うのであるとされる。 この、厭うべき三行相と欣うべき三行相を観ずることを六行観というのである。(中略)この六行観においても、現状ないしそれ以下の状態を厭離し、上の方の状態を欣求するということである。」(宮元啓一『日本奇僧伝』)

これは少し解説が必要で、釈迦が仏教を説く前に王宮を出て出家意思を持ち、まずアーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねました。「最初に訪れたのは、瞑想(禅定)によって解脱にいたると説き、多くの弟子を従えていたアーラーラ・カーラーマ仙人のもとであった。」(これが最初の仏教だ・宮元啓一氏)そこで釈迦はこういうことを会得しました。

「いくつもの伝承が共通して伝えるところによれば、アーラーラ・カーラーマ仙人が、これによって解脱にいたることができるとしたのが、無所有処を最高の境地とする瞑想であった。

後の仏教では、無所有処定は、四無色定の第三番目とされ、この境地にたっするというのは、無色界の無所有処と呼ばれる場所(無色界であるから、本当は場所は特定できないことになっているが)に住することであると解釈される。・・・・・。

ただ、アーラーラ・カーラーマ仙人の手ほどきを受けたゴータマ・ブッダが、成道ののちにも楽しんでいた瞑想のうちの少なくともひとつは、まちがいなくアーラーラ・カーラーマ仙人直伝の無所有処の瞑想であったことは確かであろう。

おそらくアーラーラ・カーラーマ仙人がいうところの無所有処というのは、瞑想のはてにたどりつく、見る者も見られるものも何もないという心境のことであろう。

これは、はるか後世の『ヨーガ・スートラ』(ヒンドゥー教ヨーガ派の根本テクスト)における『心のはたらきの停止』という意味でのヨーガ、つまり三昧(サマーディ)に相当するものと思われる。心のはたらきが停止するとは、感情も思考も停止することである。」(「ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ」)

釈迦の臨終を記述した大パリニッバーナ経(涅槃経)にも釈迦がこれらの瞑想(禅定)の状態からニルヴァーナ(完全な涅槃)に至ったことが記されています。

「ここで尊師(ゴータマ・ブッダ)は初禅(第一段階の瞑想)に入られた。初禅から起って、第二禅に入られた。第二禅から起って、第三禅に入られた。

第三禅から起って、第四禅に入られた。第四禅から起って、空無辺処定に入られた。空無辺処定から起って、識無辺処定に入られた。識無辺処定から起って、無所有処定に入られた。無所有処定から起って、非想非非想定に入られた。非想非非想定から起って、滅想受定に入られた。

そこで尊師は滅想受定から起って、(略)今度は先ほどの瞑想を逆に辿る。(略)第二禅から起って、初禅に入られた。

初禅から起って(略)第三禅から起って、第四禅に入られた。第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナ(涅槃)に入られた。(大パリニッバーナ経)」

この第一禅から第四禅という過程は釈迦の瞑想の特徴で、六行観とも関係しています。(続く)