正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:2

大乗の方の三昧境とは定義から言いますと「心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想。また,その境地。三摩地。三摩提。定。正受。等持。」とあります。

初期仏教の「滅尽定」にあたる言葉は「三昧」とも言い換えられますけど、隋の時代の天台大師は、仏教にとっては三昧によって精神作用を静止すること自体には意味がないとし、止観は精神の止息状態だけでなく、「観」となって働かなければならない、すなわち八正道の正見がなくてはならない、と説明しています。

大乗では修行結果の獲得法は様々で、無著は、滅尽定における 「識不離身」の識が意識でなくアラヤ識であることを「摂大乗論」で明かしています。また大乗仏教では、前出の天台大師が否定した精神作用を静止することよりも、「止」のみの対象は想念(概念やイメージ)のない「空」や、仏(仏像や仏画)を選ぶことが多くなります。

密教では、それに加えてマントラ真言)や種子(梵字一字で表される創造の原型)、マンダラを見つめることでが「止」の対象としていることが多くなります。

大乗仏教には初期仏教には見られない有神論的(根源を認める)な側面があるので、三昧境の獲得の準備段階には、「帰依」「礼拝」「供養」「祈願」を修行者に要請して信仰心を醸成するものも含まれます。

これらの精神的な妄想を止める手段の「止」は、もっぱら、最初は何かを対象にして心を静めても、最終的には空間(虚空)を対象にし、対象をなくして、無想念の状態となります。
これは釈迦が修行した「非想非非想処」に相当すると思いますが、第九番目の「滅尽定」という結果には至りません。なぜなら大乗は徹底して菩薩行を説き一切衆生を済度することに力点が置かれるので、何度も生まれ変わって来ます。

三昧は来世も同じ境涯を得るための修行ということです。