正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:4

中観思想とは別に、もう一つ大乗仏教の歴史の中で起こってきた思想に唯識があります。これも悟りの境地を解析したもので龍樹によるその著書「中論」以降、中観思想の中心課題は、二諦(勝義諦と世俗諦)の解釈をめぐるものとなっていきました。

縁起による否定(代表的な八不としての不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不去)から戯論寂滅へと至る道を中論は示したわけです。

ところが一番肝心なて世俗諦から勝義諦(悟り)へと至る修行方法、体験方法については、「縁起」というだけで、具体的にではなかったんですね。

この中観思想の空の論理を受け継ぎ、世俗諦から勝義諦へより具体的な思想として出現したのが唯識思想が登場する背景です。

唯識思想は、ヨーガ(瞑想修行)を中心として、「心」を深く洞察してゆくため「瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派」と言われました。

その具体性を追求した結果出てきた考え方が「三性説」「三無性説」です。

「三性説」とは、この世における事象・存在のあり方について三形態に分けて示すこと「遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)」「依他起性(えたきしょう)」「円成実性(えんじょうじっしょう)」

もう一つの「三無性説」とは「相無自性」「生無自性」「勝義無自性」のことで、「三性説」に対応していて遍計所執性に対応する否定として「相無自性」が説かれます。依他起性に対応する否定としての「生無自性」円成実性に対応する否定としての「勝義無自性」

よく阿頼耶識が心底にあるのだと強弁する人がいますが、唯識はあくまでも龍樹の「空」を補完する形で出てきたもので、三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)が招く誤解の実体感(有)にとらわれてしまうことを避けるために、その三性それぞれも「空」「無自性」であるということを示して、「有る」にとらわれず、また「無い」にもとらわれない「非有非無」つまり中道の観点について示しています。

更に概念としての「空と不空」という状態にもとらわれないために説かれた「三無性」であると考えられています。

これもある意味、非想非非想処に迫ろうと言う思想ですね。