正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:12

上座仏教と大乗仏教の瞑想の間には、何か相違があるのではと思いますが一部を除いて特に禅宗に共通項も多いようです。

大乗仏教の座禅に関して心を一つの対象に集中すること、これは上座部の三昧の原則をそのまま適用しています。

止観と呼ばれる、心の働きを静める瞑想である「止」の場合も、同じように一つの対象に心を結びつけています。「観」の場合も、同様で心の動きを見つめる修行ですから、業処(上座部仏教で説かれるサマタ瞑想における導入的な瞑想対象のこと)を選んで心を振り向けるという点では全く異なりません。

この観の対象に上座部では40種類の業処が数えられますが、新たな業処に観仏があります。

まず大乗になってからの業処の展開という視点から考えてみましょう。業処の種類は、上座仏教の場合は、ブッダゴーサの『清浄道論』に紹介される 40 種類の業処が代表的なものです。

その中に「随念の修習」と言われるものが出てきますが、最初に登場するものは仏の十号です。 仏の異称である十号を心の中に思い浮かべ、確認するというのが存在します。しかし、仏を思 念することであるとしても、そこには仏の姿そのものを思念するという形式は存在しませんで した。ところが、大乗の瞑想になりますと、仏の姿そのものを思念するという形式が登場します。

十号(仏の名号)という具体的な言葉を心の中に思い浮かべる対象として用いる形式から、大きな飛躍 を起こし、仏そのものの姿形を心の中に思念するというものが登場します。(蓑輪顕量氏・上座仏教と大乗仏教の瞑想)

 この観仏(仏の姿・形)が、座禅中に心の対象として用いられることになったことを意味します。単なる言葉を見ることから具体的な形象に、業処が変化したということです。

その最初期のものを伝えていると考えられる経典が、観仏経典と言われる経典の代表格である『般舟三昧経』です。

『般舟三昧経』は、仏が行者の心中に立ち現れると説く経典で、紀元前 1 世紀頃に成立したのではないか と考えられています。いわゆる対象にブッダをしつらえて行者はそれを対象として己心を観ずる修行です。