正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:13

原始仏教教団や初期仏教は具体的な造像などを用いず心中のみで瞑想を深めていきましたが、或る時期(大乗勃興)から対象に具体性を求め、心内に具体的な形象を作り、集中する対象が変化したということです。

これを観仏とも言いますが、紀元前1世紀頃に成立したのではないかと考えられている「般舟三昧経」には仏が行者の心中に立ち現れると説いています。

仏に向かって念ずる意は乱れず、智慧を得て精進を離れず、善知識と共に空を行じ、睡眠を除いて(中略)この行法を保つので、三昧を致せば、すなわち三昧を得て、現在の諸仏は、悉く前に在りて立つ。(般舟三昧経)

この仏とは西方の阿弥陀仏の事で、瞑想中の仏の身体には「三十二相有りて悉く具足し、光明は徹照して端正なること比ぶるもの無し(般舟三昧経)」と念じなさいと示されています。

それまでの抽象的であった仏念が、具体的な姿に変化し、それを心に思い浮かべるよう修行が行われています。更に修行を進めさせるために修行者は仏像製作へと向かうのですが、それにはまだ時間がかかります。

仏像が作られるようになった時期は、美術史の研究では紀元後 1 世紀頃と考えられていますので、おそらく止の瞑想の業処として、仏の身体的な特徴が対象にされるようになった時 期の方が、早かったのではと思われます。(蓑輪顕量氏)

日蓮系では題目と本尊が釈迦の本当の悟りだと言いますが、全くの間違い思い込みで大乗仏教は瞑想修行の業処として観仏を考えだし、その具体性を阿弥陀如来に求めてこの修業方法が大乗教団ではポピュラーとなり、阿弥陀仏の住んでいる浄土の様子も、業処として用いる経典が登場。その代表的なものが『観無量寿経』だそうです。